pageviewers




まだ片耳が聴こえにくい。25日、ライブでのスピーカーにやられた。
で、思い出したあの頃、70年代後半。フラワーチルドレンもいなくなり、
アメリカ中、アーティストはみんな、音楽に限らず 新しい 'なにか' を探していた。
ウッドストック後だ。移住の時代。僕も シスコから ニューヨークに 移った。
そして、いつのまにか マンハッタンのクラブ 'マックスカンサスシティ'で
兄弟のような ジョニー・サンダースを 撮っていた。そこで耳をやられた。
'なにか' はパンク(広い意味での)だった。
(*カルメンマキはパンクに近いが より冷静なパンク だと思う。だから
息が合う。僕自身の写真の撮り方も 'パンク 'の精神そのものだ、今でも)
日本には居なかった70~80年代、アメリカでこんな写真も撮っていた。  
(ランドスケープ、ポートレート、ファッション以外は)もちろんデジタルカメラではない。
ライカM3、トライX、ブラック&ホワイト プリントが定番だった。
ロックもジャズも絵画も写真も、アートはすべてマニュアルだった。
ジョニーは今、天国にいる筈。生きてた時は、地獄だったろう。
燃え尽きた。いい '人間 ' だった。きっとヘヴンにいけただろう。
Hope Brother Johnny is Still in Heaven Now.
14/11/28